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島根旅行・・其の三 [お城巡り]

 島根旅行三日目(といっても、実質二日目・・)、やっとのことで、二晩も泊まった松江めぐりに。

 まずはホテルから徒歩で松江城へ。10分ほどで到着。松江城は、去年だったか、国宝に指定されたばかり。現存十二天守のひとつ。
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 ここもご多分にもれず、明治に競売にかけられて、「薪」になりかけたそうですが、荒れ果てながらも奇跡的に天守が残り、その後、松江の人々が修復したのだそうです。天守も大きく、石垣も古い作り方で、自然の石をそのまま使ったところも多くて本当に見ごたえがあり、見事なお城です。
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 天守の上にのぼり、宍道湖を望む。
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 暑かったのですが、大きな木も多く残っていて、お城は風も吹いて涼しく、しばし木陰で休んで。
 そのあと、「堀川めぐり」の舟に乗ることに。タクシーの運転手さんが、なかなか楽しい、と教えてくれていたので、乗ってみることにしました。料金は大人が1200円ちょっと、子供は半額だったかしら。。それほど高額ではないし、一度チケットを買うと、一日中何回でも乗れるんですって。連続で一周すると、だいたい50分かかるそうなので、私たちは2回に分けて、一周することにしました。

 最初に、松江城の大手門の前から、ちょうどお城の裏側まで乗りまして。これが15分ほど。ここでお昼ごはんを食べることに。前日食べ損ねた「出雲そば」のお店に。

 今回初めて知ったこと。そばにもいろいろある。特に、一口に十割そばと言っても、同じではない。出雲そばは、他とは違うのだそうです。

 お米は「玄米=ぬか+白米」なわけですが、蕎麦も同じ。普通は「ぬか」なしの「白米」状態の蕎麦を使って蕎麦をこねるのだそう。しかし出雲そばは、「ぬか」にあたるところも使っているのだとか。この部分、香りはいいけど、粘り気がない(コメと似てる・・)ので、ここを使って麺にするのは難しいとか。これを使っているのが出雲そばのすごいところ、らしい。一口に十割そばといっても、この「ぬか」部分があるかないかで、香りが随分と違うのだそうです。

 そういえば、十割と銘打っているにもかかわらず、それほど香りを感じられない蕎麦ってけっこうある。。うう〜ん、そういうことだったか。。

 出雲そばといえば、割子そばが有名ですが、「釜揚げ蕎麦」もよく食べられる、ということだったので、「。。暑いけど、いっぺん食べてみたいな〜」と、私は釜揚げにしました。茹で汁をそのまま汁として使い、好みで醤油(か、もしくは少し出汁の入っている出汁醤油)を加えながら食べる、というもの。
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 この食べ方、美味しいです。十割そばって、かけそばにすると、出汁と麺が馴染まないような感じがあったりするけれど、これはよく馴染んでる。茹で汁そのままなので当たり前でしょうけれど。蕎麦湯を飲みながらそばを食べているわけです。美味しい。

 他の3人は割子か、トロロつきの割子にしていましたが、こちらもとっても美味しかった。好みとしては、暑かったけども、釜揚げ蕎麦のほうが気に入りました。

 さて、念願の出雲そばも食べられたし、ちょっとゆっくりしてから、また舟に。二回目は、チケットを見せて「乗ります」と告げるだけで、舟が着いたら乗せてもらえます。

 二回目の船頭さん。銀行マンだったって言ったかなぁ。。だいたい、みなさんセカンドライフでこのお仕事なさってるとかで、平均年齢68歳だとか。最初の船頭さんもなかなかでしたが、このかたもおしゃべり上手で。
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 この舟、お城の周りのお堀を進んでいるうちはいいんですけど、街のほうまで行くと、橋をくぐらなくてはならない。とっても低い橋もあるので、屋根が電動で下がるようにできています。船頭さんが、「下げますよ〜」というと、みんな一斉にお辞儀するように頭を下げます。いちばん低くなったときは、子供達もちょっと頭を下げなくてはなりませんでしたよ。

 松江城には城壁があるものの、途中から石垣がなくなって、森のようになっている。どうやら資金不足で石垣を完成するのを諦めたらしいけれど、お陰で今は、お堀のすぐそばまで森の木々が茂って、水鳥もそこで憩っており、いい景観を作っている。(と、船頭さんのナレーション)
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すごく狭いところも通る。いちばん狭いところは、舟がギリギリ入るくらいの幅しかない〜
蔦で覆われたところを通る、屋根も下げて。。
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ほとんど、真っ暗に!子供達はキャー、大人はオオっ。
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お堀から街を見上げるのは、初めての経験。
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 ポイントポイントで、船頭さんがナレーション・説明を入れてくれる。なかなか楽しい。私たちは二回に分けて乗りましたが、50分乗り続けても飽きないと思います。

 お堀からお城撮影の「ベストポイント」でお舟を止めて下さって、撮影を〜と言われたのですが、やっぱり、下手すぎです ^^; 実際には、水、緑、お城、空と、見事なんですけれどもね〜
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 これで松江めぐりは終了。本当はもう少し町巡りしたかったのですけれど、1日目の雨がたたって、時間を割けませんでした。それに、松江の街はかなり大きい!!金沢も大きかったのですが、松江もなかなか・・街を巡るには、車・バスか、少なくとも自転車が欲しいところです!

 このあと、米子経由で境港へ。子供達のおたのしみ、鬼太郎ワールド。(つづく)


犬山城(夏のおでかけ・その3) [お城巡り]

 古戦場巡りの翌朝早く、妹一家に別れを告げて列車に乗る。名古屋で途中下車、現存天守のうちで最古かもしれないという犬山城を目指す。最古の現存天守は福井の丸岡城ということになっているが、じつはどちらが古いかよく分かっていないらしい。

 名古屋は初めて。もちろん、通過したことはあるが、下車したのは初めてである!名古屋城は今回はパスして、一路犬山城へ。

inuyama.jpg 「犬山遊園」駅で下車、すぐ近くの木曽川に出たとたん、目の前にお城が見えた!川沿いである、ということは知っていたが、何ともすばらしい光景!!

 だが、突然轟音が響く。驚いて見上げると、なんと戦闘機が!輸送機らしきものも旋回してゆく。次々と、まるで城を襲うかのように戦闘機や輸送機がやってくる!!「何で?なんで?」とモノを知らない我々は驚くばかり。あとで気付いたが、自衛隊の基地が近いのである。いにしえの戦い、守備の要の上空に、現代の戦いと守備の権化のようなものが飛び交う、不思議な光景・・・

 城の別名は「白帝城」。長江のほとりにあった城である。木曽川を背にしたこの城にじつに似つかわしい。城内には李白の詩があった(朝辞白帝彩雲間・・)。木曽川の対岸は美濃の国。つまりこの城は「最前線」であり、かつ、木曽川を天然の堀とする、堅固な要塞だったようである。

 石垣はごく初期の積み方で、天然の石を加工せずにそのまま使う「野面積み」。でこぼことした、風情のよい石垣である。(最近、石垣は区別できるようになってきた・笑)驚いたことに天守閣の中にも石垣があった。1階部分の「壁」にあたるところは、石垣になっていた。

 このお城、ほんの数年前まで個人所有だったという!!最後の城主の子孫がずっと所有していたのだそうだ。天守閣の最上階に、歴代の持ち主の肖像画が掲げられていた。現代にも、「城主」がいたのである。

 写真はないのであるが、天守閣最上階からの眺めは素晴らしかった。。午後2時くらいだったろうか、木曽川に反射する日の光の陰に対岸の様子が映えて、夢のようであった。ただし!ある意味で高所恐怖症の私は、高知城天守閣最上階の回廊は怖くてしかたがなかったが、犬山城はそれ以上である!!外回廊の下には屋根がほとんど見えず、木の梢が見えるばかり。。。まるで、はるか下方にいきなり川が流れているような!足元には何もないみたいに、外回廊が屋根よりも外側にあるみたいに、見えるのだ!これは私にとってはかなりな恐怖で、もし他に観光客がいなかったら、ずーっと壁伝いに、這うように外回廊を回りたいぐらいだった!故に、写真どころではなかったのである。しかしその恐怖感が、ある意味で周りの景色の素晴らしさを強く感じさせたのかもしれない。。

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タグ:犬山城

川中島古戦場・妻女山・海津城(夏のおでかけ・その2) [お城巡り]

 松本城訪問の翌日は、諏訪大社などを訪れて少しゆっくり過ごす。最終日にはふたたび「戦国時代」へとタイムスリップ。川中島の最も有名な戦いの跡をたどる。

 まず訪れたのは「川中島古戦場跡」。いまは八幡原史跡公園として残っていて、信玄公を祀った(?)八幡社があり、市立博物館もある、広大な公園になっている。しかし、まあ、「なにもない」といえば何もない(笑)。

八幡社の前にある、太刀を打ち下ろす謙信とそれを軍配で受ける信玄の銅像の前でそのマネをしていると、ボランティアらしきガイドさんがやってくる。我々を含めて15人ほどの観光客が聞き手となり、いろいろと解説していただいた。史上最も多くの戦死者を出した戦いだったらしい・・・三千人近い戦死者が出たとか・・・恐ろしや・・

 次は上杉軍が陣を敷いたという妻女山(古戦場の南)へ。kaizu.jpg頂上付近にある見晴し台から川中島古戦場を見下ろす。吹き上げてくる涼しい風を受けながら、しばしツワモノどもの夢のあとを見る。

 最後は「海津城」。後に真田氏の城になったようで、今は「松代城」と名を変えている。「松代」駅のすぐ北側あたりに位置する。件の川中島の合戦で信玄公が陣を敷いた城だ。この城から立ちのぼる飯をたく煙を見て、上杉謙信は襲来を予期し、夜分に妻女山を下り、霧の中、馬の足に布を巻いて音を殺し、さとられぬよう敵軍に迫ったという。

 城は「松代城」の一部再建。海津城だった頃の面影はほとんどない。しかし、土塁が残っていた。私が最も感銘を受けたのはこの土塁。いかにも戦場だったという雰囲気が残っていた。石垣の上に城を築くのが一般的になったのは、戦国時代も後年のこと、特に安土城(1576年)以降らしい。このころはまだ土塁のほうが普通だったようだ・・・川中島古戦場の八幡社の前にも、土がほぼ直線をなして盛り上がっているところがある。それが当時の土塁の跡だという(ガイドさん談)。何度か川が氾濫して流されたそうだが、今でも50cmほどの高さの土塁跡が残っている。

 ボランティアだと思っていたガイドのおじいさん、最後に、「そこのそば屋はとっても有名で・・・」と、公園に入ってすぐのそば屋さんの宣伝。「じつはわしの家で・・・」聞いていた観光客、大爆笑!!すっかりのせられて、そのお店で昼食をとったのでした(笑)。ものすごい大盛りのソバもあり。私はワサビを自分でおろしながら食する、という、ちょっと風流なソバを注文。ワサビはつけ汁に入れずに、ソバにつけて食べてください、とのこと。なかなか香りよく、美味しかった。

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松本城(夏のおでかけ・その1) [お城巡り]

 大失敗!タイトル、間違えてました!!「松山城」ではなく、「松本城」でした〜 >_<;;

 8月中旬、お盆が終わった頃に、列車に乗った。新幹線で名古屋へ。名古屋から、松本へ。松本駅で、義弟や甥っこと合流、すぐさま松本城へ。

 義弟の車で松本城に向かい、駐車場を探すも、ない!しかも臨時駐車場が出来ている・・・嫌な予感。そして、予感的中。天守閣に入場するのに20分待ちの看板が!

 「明日にしよう・・ってわけに、いかないよねぇ・・」とため息つきつつ並ぶが、結局、1時間待ち。義弟も甥も、「こんなの初めて」と。よっぽど、運が悪かったようだ。

 それでも、我々が松本に到着する直前まで土砂降りだったそうなので、その点では運良く雨の止み間に並んで、城を見学することが出来た。

matumotojou.jpg 予備知識なしで行ったので、まず驚いたのは、まったくの平地に、あまり高くもない石垣が申し訳程度にあるくらいで、かなり大きなお城がにょっきりとそびえている!のである。こういうお城は初めて。平地に小さめのお城、というのは、見たこともあるのだが、これだけ大きなお城があるのはビックリした。説明を読むと、「林城」という山城の守護として、支城として築城されたのが元だという。納得。そのあと、こういう大きなお城になったのだろう。

 別名「烏城」の名のとおり、真っ黒なお城である。そして、大きい。大きさと古さとを考えると、今まで見た中でも随一のお城、ではないかしら。

 城内の柱も、古いものがそのまま残っている感じで、槍鉋というのか、古い鉋で削った鱗状の跡の残っている巨大な柱や梁が、永い年月を閉じ込めたように照りが出て美しかった。

 これに始まった、この夏のメインイベント、長野訪問。妹一家が住んでいるので、そちらにおじゃました。私も家人も車は運転できないが、妹と妹のご主人(義弟)は車なしでは生活できないとあって、運転には慣れている。今回、「長野は車がないとどこにも行けないから」と、ずーっと車でいろんなところに連れて行ってくれた。感謝。

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タグ:松本城

松山城 [お城巡り]

lift.jpg 宇和島城を見た翌日、松山へ。昼ごろ到着。昼食後、松山城へ。登りは歩くと30分かかる、ということで、ケーブルとリフト(←家人がリフトから撮影した松山城)で上がる。大人260円くらい。往復割引切符もあったけれど、下りるのは大丈夫だろうと考え、登りだけ乗った。上の子はリフトで。初めてのリフトがよほど面白かったらしく、「もう一回乗りたい」と言っていたが、却下。

matuyamajo.jpg さて、松山城は「現存天守」の中で最も新しい天守だそうだ。何と、あと20年(くらい)で明治、という頃に再建されたものなのだ。そしてこのお城は大きい。昭和に入って改修・再建されていて、天守(大・小)と櫓が3つほども連なっていた。大天守では最上階でも宴会が出来そうな。後で知ったが、「日本で唯一現存している望楼型二重櫓である野原櫓」なるものがあったのだそうだ。意味も分からないし、出てきてからパンフレットを見ていて気づいたので、もう戻らなかったが、城好きには垂涎のものなのだそうだ。宇和島城とはかなり趣の違うお城。面白い対比であった。

1dayticket.jpg 松山見物には、市街電車がとても便利だった。大人150円なのだが、1日乗り放題のパスが400円。3回使えばおつりがくる。なので、2日ともこのパスを買ってどんどん乗った。運行間隔もラッシュ時の御堂筋線並み。「あ、電車、来てる!」と走ったのは1回目だけ。イラチの大阪人でも「急がんでもすぐに来るわ」と思えるくらい、どんどん来るのだ。便利でした〜♪ 「坊ちゃん列車」には、プラス100円で乗れる。観覧車「くるりん」にも、プラス200円で乗れる。1dayt2.jpgただし、観覧車のほうは気づいたのが遅すぎて(「くるりん」が何か、分かってなかったのだ)、乗ることができなかった。残念。

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宇和島城 [お城巡り]

uwajimaikizug.jpg さて、今回の旅行は帰省したのち、高知〜愛媛を巡る旅。四国には、現存天守12のうち、何と4つもあるのだ。高知城はもう何度も行ったし、昨夏、丸亀城にも行った。あと2つを今回、制覇すべく。「宇和島城」と「松山城」を目指す。まずは宇和島城へ。

 後免駅から特急で窪川まで行き、窪川からしまんとグリーンラインというのに乗る。jikokuhyou.jpg 1両編成!各駅停車!窪川〜宇和島2時間!四万十川に沿って走っているので、車窓はほとんど常に川を眺め、山を眺め・・・「トイレ」なしだったので、少し心配だったが、途中で一回、「4分停車」の駅があって、そこでお手洗いに駆け込む。だが思っていたよりも楽しく、「列車の旅」らしい旅になった。
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宇和島城へ・続きをどうぞ・・


岡山城に行ってみました♪ [お城巡り]

 昨日から一泊で高知に帰省。バタバタの日程だった。

anpanmanressha.jpg 行きの特急「南風」、意図していなかったのだが、「アンパンマン列車」であった!車体にアンパンマンがずらり。車内にはない、と聞いていたが、天井にはご覧の通り。だが・・・わが家の子供はもうすでに「アンパンマン熱狂時代」は過ぎている。三歳くらいまでは大好きだったのであるが、今は、「まあまあ好きなキャラクター」くらい。あんまり喜ばず、親が「うわ〜、ラッキー☆」と言うばかり(笑)発車直後に、「みんな、今日は列車に乗ってくれてありがとう!」みたいなアンパンマンの声も放送されました〜!

okayamajotukimi.jpg それにしても暑かった!ずーっと半袖で過ごし、夜は「クーラー」を使う始末。雨模様だったせいか、湿度もかなり高く、虫も多かった。。。まるで夏だわね〜、と言いあったことだ。

 さて、大阪に帰る途中、またひとつお城でも。。ということで、今回は乗換駅である岡山で城散策。岡山城。天守は再建されたコンクリート製であるが、いくつか現存の建物もあった。敷地内では現存する唯一の建造物の「月見櫓」、年に一回、三日間だけ、公開しているのだそうである。その最終日にあたっていた!ラッキーにも、内部を見学出来た。okayamatenshu.jpgほんとにしっとりとした、いい櫓でした。修復は何度かされているそうで、保存状態もとてもよく、小さい天守のようなりっぱな造りになっていた。

 岡山城は、この櫓(と、もうひとつ敷地外に櫓が残っているそうであるが)を除いて、他はすべて明治時代に取り壊されたのだそうである。そして、旧制の「中学校」があったのだそうだ。それが空襲ですべて焼け、櫓だけが残ったのだそうである。kago.jpgそして、天守とともに門なども再建されたのだそうだ。ボランティアの解説者の男性が、いろいろと教えてくださった。

 天守の中は資料館のようになっていて、レプリカの「駕篭」があり、靴を脱いで中に入ることができた。なかなか大きい、ゆったりした駕篭で、家人、「これ、中は広くていいけど、担がれへんわ・・・」と(笑)殿様になるしかなさそうだ。

 今回、驚いたのは、(多分)折りたたみの自転車を持って列車に乗っている人がたくさんいたこと。変な大きな袋がデッキにおいてあるので、最初は「何?!」momotaro.jpgとびっくりしたが、どうやら「自転車」らしい、と気づいた。ヘルメットを被った人びとが持ち主だと分かったから。南風でも、新幹線でも見かけた。自転車ブーム、と聞いてはいたが、こんなにどこでも見かけるというのは驚きであった。

 駅前で見た桃太郎。ポストの上に寝っ転がっていた。「人魚」風?(笑)

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丸岡城行きましたよ〜 ふう。。。 [お城巡り]

maruoka2.jpg この夏、最後の追い込みで、お城巡り中。何と、福井まで遠征です。

 現在、クエスチョンマークつきながら最古の現存天守と言われている、丸岡城に。車なしの身ではなかなか遠く、遠征費もバカにならないものの、行ってみたいと言い始めたのは子供ではなし、家人なり。で、遠征費を出していただいて(笑)、行ってきました。

 福井駅からバスで40分弱、丸岡城は丸亀城に似た、ほんのりと懐かしさの残る姿で現れた。大きくはないし、特徴はさほどないが、何とも雰囲気のいい天守閣。丸亀城の息をのむほどの高さなどはないものの、見た瞬間に、「おお・・・」と声が出た。

maruoka1.jpg 丸岡城は柴田勝家の甥っ子が造ったお城だそうだが、どんどん持ち主の一族が変わっているらしい。丸亀城を見学したときにも感じたのであるが、お城というのは、長い時代を経るもので、何だか武家の「宿舎」みたいな感じを受けてしまう。ただ、その入れ替わりは、三代四代と続いてののちのことだから、宿舎というのはあたっていないのだが。

 階段はとても急であったが、私にとってはここは丸亀よりは楽であった。tenshukara.jpgだが家人はいちばん怖かったそうだ。階段に手すりもあったが、ところどころに結び目をつけたロープがあり、「こういうのを見るとかえって怖い」のだそうだ。チビちゃんはこれまでは平気だったくせに、怖い怖いの大合唱。天守閣の一番上の階でも、怖がってあまり楽しんでいなかった。彦根城では天守の最上階で走り回って、止めるのに大変だったのに。私の脚に腕を回して抱きついていた(笑)。私はたぶん、いちばん怖くない天守であった。風が木の柵の間から、下から吹き込んで来て、とても涼しく、気持ちがよかった。

yane.jpg このお城、屋根が変わってる。いわゆる瓦屋根ではない。焼き物ではないのだ。石で出来ている。ところどころ、セメントで造られた瓦(でいいのか。。。)で出来ていたが、それはたぶん、震災後の修復時にセメントの瓦を造ったのではなかろうか。ほとんどが石の「瓦」であった。こんなのは初めて見た。今まで見たお城は少なくとも焼き物の瓦であった。

osuifuta.jpg お城近くの「汚水」の蓋。かわいい。側溝のようなところの蓋なので、四角。マンホールとはひと味違う。

 そのあと、またバスで40分かけて福井駅前に戻り、福井県庁へ。というのは、福井県庁は「福井城」のお堀の中にある、ということが、観光案内所でもらった地図で判明したからである。fukuikentyo.jpg福井城はもうないが、お堀と石垣は残っているのだ。なかなか面白い光景であった。福井城は徳川家康の次男が作ったのだそうだ。これも知らなかった。

 福井の人って、穏やかだ。バスの運転手さんも、観光案内の女性も、お城の管理してる女性も、みんな穏やかだった。fukuijouohori.jpg大阪の雰囲気とは大違い。高知とも違う。とってもとーっても、穏やか。こんなとこで暮らしたい。。。と、家人は言う。(だが、家人はほとんど常に、どこかに行くとそう言うが。)私も、いいとこだなぁ、と思った。ホントに、おだやかな人びとだった。バスでお城に行くとき、運転手さんが近づいて来て、「帰りは福井駅に帰るんですか?」と話しかけてきた。「?はい。。。?」と答えると、バス停に降り立つ時、「帰りはここからバスに乗ればいいですからね、時間は、そこの時刻表を見てくださいね」と。。家人、「運転手さん、子供がうるさいいうて、注意されるかと思った、、、親切やなぁ。。。」と感じ入る。大阪だと、こんな風にはならないだろうな。。
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 次回は福井で食べたモノをアップします。このブログ、だんだん、「お城巡りとグルメ」になっちゃってます ^ ^;  もうちょっとしたら、またキチンとお野菜の種まきします!(笑)


丸亀城 [お城巡り]

 なかなか収穫がなく。。。キュウリはもう、諦めようか、と思い始めました。昨日、せっかく出来た唯一の実もしなしなになっていることが判明。どうやら、単なる「グリーンカーテン」で終わりそうです 

 それならばついでにお城続きでいこうか!ということで、丸亀城です。

 帰省から帰阪する途中、途中下車して丸亀城へ。これも、「現存十二天守」のひとつ。じつは日本のお城で、「現存」していると考えられているものは12しかないのだそうで、高知城・彦根城もそのひとつ。そして、丸亀城も。なので、いちど行こうかということで。

 丸亀=香川、といえば、讃岐うどん。しかし、お盆の期間中だったためか、ほとんどのお店が閉まっていた。唯一、開いていたお店に入ったところ、なんと、そのお店は「信州そば」を売り物にしているような感じの、お店。でもやっぱり、とうどんを頼んだのであるが、横で上の子は信州そばを喰うなり。少しもらって食べてみたら、そっちのほうが美味しかった。。。かなり微妙な讃岐うどん体験となった。

 そのお店で、「丸亀城って、どう行けばいいですか?」と尋ねる。すると、「ここをまっすぐ行って、正門(でいいのかな?)を正面に見るように出ると、きれいですよ〜」ということで、その指示通りに動いて出会った風景が、これである。

marugamejou.jpg ちょっと、息を飲んだ。

 そして城に近づいていくと、市の何かの施設に、「初」の幟が。家人が、「初って、あの初か?」と。思い浮かんだのは「お初天神の」の「初」だが、そんなはずはない。どの「初」?ああ、あの。。。つまり、「江」のすぐ上の姉上の「初」。「何でやろね?」「さあ?」といいつつ、城へと登る。 一言で、「城へと登る」と書いたが、見てお分かりの通り、なかなかの高さ。猛暑は引いたとはいえ、暑い昼日中、ふうふう言いながら登る。そして、天守閣に入ってみると、なんと丸亀は「京極氏」の居城になったのだそうで、その京極氏の妻となったのが初だったのだそうだ。京極氏というと、関西、特に京都近辺と思っていたので、驚いた。

 天守に登らずとも、城の一角からでも綺麗な瀬戸内の景色が見えた。marujokesi.jpg瀬戸大橋も綺麗に見えた。天守閣の上からも美しい。そして何より、(写真には撮らなかったが)城のある一角から讃岐富士が望める。そこは、「月見櫓」があったとのこと。確かに、讃岐富士を見ながらの月見はよかろう、と思ったが、多分(月と山の)方向は逆だろうと思う。 ともかくこれで、現存12天守の3つまでは見た。あと九つ。全て見終わるまで、子供の興味が続くか否か?!興味深いのはそっちかも知れない。だが、確かに、大阪城などよりはよっぽど見ていても楽しい。

 天守に登る階段には注意が必要、「気をつけてください」と言われた。各階段の最終段がすこしせり出しているのだそうだ。「登ろうとした者の膝を打つように、わざとそう設計されている」との説明であった。「戦」の匂いを感じた。

 丸亀城は、「石垣のお城」と言われるそうである。正直な感想は、最初に見たのがいちばんインパクトがあった。上に登ると景色もよく、それなりに楽しいが、城フリークでもない私は、下から見た石垣の凄さがいちばんであった。

 丸亀は「うちわ」で有名らしい。お城でも「うちわ作りの実演」などやっていたようだ。時間がなくてみられなかったけれど。

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高知城・ブリキの金魚はこんなふう [お城巡り]

koutijou.jpg 岡豊城の翌日には高知城にも。これはもう三回目なのであるが、やっぱり天守閣にも登った。「きのう見た岡豊城の景色のほうがやっぱりきれいだったね〜」と言いつつ、今回は風もさほど強くなくて外の手すりまで行けた。(いつもは高所恐怖症がちょっとあるワタクシは、風が強くて怖くて、子供をつれて外に出られなかった。)そのあとは夜須の海水浴場に行って、少し水遊び。子供は初めての海。ほんの半時間ほどだったが、楽しそうだった。

 さて、金魚のおもちゃ、ちょっとデジカメのビデオ機能を使って撮ってみました。ただし、古い機種ですから、まあ、動いてるのが分かるかな?というくらいですが。それに、まっすぐ進まそう、と思っても、なかなか思い通りに動かないので、途中で画面からいなくなっちゃったりしてます(笑)

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