川中島古戦場・妻女山・海津城(夏のおでかけ・その2) [お城巡り]
松本城訪問の翌日は、諏訪大社などを訪れて少しゆっくり過ごす。最終日にはふたたび「戦国時代」へとタイムスリップ。川中島の最も有名な戦いの跡をたどる。
まず訪れたのは「川中島古戦場跡」。いまは八幡原史跡公園として残っていて、信玄公を祀った(?)八幡社があり、市立博物館もある、広大な公園になっている。しかし、まあ、「なにもない」といえば何もない(笑)。
八幡社の前にある、太刀を打ち下ろす謙信とそれを軍配で受ける信玄の銅像の前でそのマネをしていると、ボランティアらしきガイドさんがやってくる。我々を含めて15人ほどの観光客が聞き手となり、いろいろと解説していただいた。史上最も多くの戦死者を出した戦いだったらしい・・・三千人近い戦死者が出たとか・・・恐ろしや・・
次は上杉軍が陣を敷いたという妻女山(古戦場の南)へ。頂上付近にある見晴し台から川中島古戦場を見下ろす。吹き上げてくる涼しい風を受けながら、しばしツワモノどもの夢のあとを見る。
最後は「海津城」。後に真田氏の城になったようで、今は「松代城」と名を変えている。「松代」駅のすぐ北側あたりに位置する。件の川中島の合戦で信玄公が陣を敷いた城だ。この城から立ちのぼる飯をたく煙を見て、上杉謙信は襲来を予期し、夜分に妻女山を下り、霧の中、馬の足に布を巻いて音を殺し、さとられぬよう敵軍に迫ったという。
城は「松代城」の一部再建。海津城だった頃の面影はほとんどない。しかし、土塁が残っていた。私が最も感銘を受けたのはこの土塁。いかにも戦場だったという雰囲気が残っていた。石垣の上に城を築くのが一般的になったのは、戦国時代も後年のこと、特に安土城(1576年)以降らしい。このころはまだ土塁のほうが普通だったようだ・・・川中島古戦場の八幡社の前にも、土がほぼ直線をなして盛り上がっているところがある。それが当時の土塁の跡だという(ガイドさん談)。何度か川が氾濫して流されたそうだが、今でも50cmほどの高さの土塁跡が残っている。
ボランティアだと思っていたガイドのおじいさん、最後に、「そこのそば屋はとっても有名で・・・」と、公園に入ってすぐのそば屋さんの宣伝。「じつはわしの家で・・・」聞いていた観光客、大爆笑!!すっかりのせられて、そのお店で昼食をとったのでした(笑)。ものすごい大盛りのソバもあり。私はワサビを自分でおろしながら食する、という、ちょっと風流なソバを注文。ワサビはつけ汁に入れずに、ソバにつけて食べてください、とのこと。なかなか香りよく、美味しかった。
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戦国時代の戦いには興味があります。
by 袋田の住職 (2012-09-19 15:08)
今日は。
古戦場、私の里にも。敗れた武将の墓、山の中腹にあって、訪れる人もありません。
by 夏炉冬扇 (2012-09-19 17:08)
袋田の住職さん、こんにちは。
詳しくは書かなかったのですが、ガイドさんによると本当に血まみれの戦いだったそうです。
おびただしい血に染まった川は、今でも「赤川」と呼ばれる、とか・・
by おじゃまま (2012-09-20 15:32)
夏炉冬扇さん、こんにちは。
以前、ブログで拝見した、石の墓標、覚えております。
残っている、というのが、すごいことですよね。
by おじゃまま (2012-09-20 15:34)